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GP診療でうまれる責任

GP診療において、真の責任の意味を浮き彫りにする瞬間があります。例を取って説明します。以前、未成年に対する経口避妊薬の処方について、クイズを出しました。

このクイズを今一度見てみたいと思います。

クイズ:
14歳の女の子がGPを受診し、低用量経口避妊薬(ピル)を始めたいと希望していて、今日あなたから低用量経口避妊薬(ピル)の処方箋がほしいと言っています。
彼女は最近、同じ学校に通う15歳の男の子と恋愛関係になりました。
もちろん、現時点では妊娠はしていませんし、妊娠を希望していません。
彼女はまだ親に恋人がいることを話していません。

この場合、GPがとるべき対応はどちらでしょうか?

  1. 未成年者なので、まずは親に連絡して、この件について話し合う
  2. 妊娠や避妊に関する女の子の理解を確認した上で、低用量ピルを処方する

正解:2番

「妊娠や避妊に関する理解をさらに深めたうえで、適切であれば低用量ピルを処方する」


解説:

オーストラリアでは、未成年者が医療行為に同意する能力を持っているかどうかは、「ギリック能力(Gillick competency)」に基づいて判断されます。
これは、18歳未満の子どもであっても、十分な理解力と成熟性がある場合には、保護者の同意なしに医療を受けることができるという法的な原則です。本人がギリック能力を有すると判断される場合、保護者に無断で連絡することは秘密保持の観点から不適切です。これは本人との信頼関係を損ない、将来の受診や相談の機会を妨げるリスクがあります。

以上のように説明しました。

日本の方々にこのクイズを試していただくと、多くの方が「正解は1番」だと答える傾向があります。これは、日本の文化を考えると、ある意味納得がいきます。クイズを出している人間の信条としては、クイズにはトリックを仕掛けているわけで、正解には驚きがある、ということを強調したいわけですから、間違ってもらえるとに関しては、ほくそ笑みたくなる気持ちでいるのですが、それにしてもほぼ100%に近い誤正答率の結果になると、少しばかりの驚きを覚えます。あらためて日本の文化の特異さを再認識することになります。

さて、この例から、GP診療のもう一つの重要な要素が隠れていることを今から説明したいと思います。守秘義務に関しては説明しましたので、今度は、GPの責任について説明します。

オーストラリアの一般診療において、相談は厳粛な原則に貫かれています。この例で言えば、守秘義務は絶対であり、その責任は分かち合うことなく、ただ一人のGPに託される、ということです。GPは判断を他者に委ねず、親や学校、委員会に情報を渡すこともありません。目の前の若者の理解力と成熟度を見極め、リスクと利益を説明し、その最善を考えるのは、その場に座るGPただ一人の役割です。この「分け持つことのない責任」は、重みであると同時に、大きな名誉でもあります。

ここに、オーストラリアと日本の文化的な違いが鮮やかに現れます。日本においては、未成年の医療判断はしばしば親の同意を前提とし、学校や家庭との関係性の中で進められることが多いでしょう。患者本人の意思よりも「周囲の同意」や「家族との調和」が優先される場面も少なくありません。そのため、若者自身が自分の体と未来について直接判断する機会は制約を受けがちです。そして、担当医師は、医師と患者の関係の単位から、責任を第三者の方に分散させて、自らの責任を薄くする方向へと進みます。

一方、オーストラリアのGPは、若者本人の理解力と意思を尊重し受け止めます。GPの根本的な役割は、「今、目の前にいる患者を助ける」ことにあります。責任を分散させるのではなく、その場の責任を引き受け、患者さんの利益に最善を尽くす。この姿勢は、社会全体から信託された役割の象徴でもあります。患者さんの勇気あるアクションに、GPは答えるように努めます。この中に、誇りが芽生えます。目の前の患者さんに誠実に尽くすことこそ、GP診療の本質です。医師を志した人は、その動機として、「今、目の前にいる患者さんを助ける」ことを成し遂げることにひかれたはずです。ここで生まれた誇りは、この例のような日々の診療で感じることが出来るわけです。

日本では、家族や学校の同意がなければ前に進めないことが多く、若者が自分の意思で医療を選択することには大きなハードルがあります。しかし、オーストラリアのGP文化が示すように、「本人の理解力を尊重し、目の前の患者さんを助けるために責任を持って向き合う」という姿勢は、患者さんの自律性を守り、尊厳を支える大きな力となります。日本の医療現場においても、この考え方は示唆を与えてくれるでしょう。若者の声に耳を傾け、守秘を尊重し、その瞬間の責任を真摯に引き受ける、それは単に医療の在り方にとどまらず、人間の尊厳をどう守るかという社会全体の姿勢にもつながります。

日本人医師:長島達郎

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