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GP診療における守秘義務と日本人患者さんへの影響

オーストラリアのGP(総合診療医)診療において、最も特徴的であり、日本から来た人にとって新鮮に感じられる点のひとつが「守秘義務」の徹底です。診察室の扉が閉められた瞬間から、その中で交わされる言葉はすべて、患者さんと医師だけの秘密となります。本人の同意がない限り、その内容が外部に漏れることはありません。電子カルテは厳格に管理され、診療に関わるスタッフ以外が自由に閲覧することもできません。

日本の診療文化との違い

この点は、日本の診療文化と大きく異なります。日本の病院やクリニックでは、診察室に看護師や事務スタッフが出入りするのはごく自然なことです。内科の診察中に看護師が血圧を測ったり、採血の準備をしたりするのはよくある光景ですし、次の患者さんを呼び込むために扉が開かれることもあります。小児科では母親や祖母が同席し、看護師が子どもをあやしたり体温を測ったりするのは日常の風景です。産婦人科でも妊婦健診の場に助産師や看護師が同席し、複数のスタッフと共に診療が進むのは当たり前です。

つまり、日本では「診察室は複数の人が関わる場」であり、医師と患者さんが二人きりで完全に閉じられた空間になることはむしろ珍しいのです。

著者自身の戸惑い

私自身、日本で医学教育と研修を受けた後にオーストラリアでGP診療を経験した際、最初に違和感を覚えました。患者さんと二人きり、静まり返った診察室で向き合うことに、どこか心もとなさを感じたのです。日本では常に看護師がそばにいて、医師の補助をし、必要な処置を支えてくれるのが当たり前でした。特に小児診察では、子どもの体を看護師が支えてくれることで、喉や耳を簡単に診察できました。しかしオーストラリアでは、診察室に看護師はおらず、一人で暴れる子どもをなだめながら診察を進めなければならず、確かにオーストラリアにはこのような不便さがあります。しかし同時に、患者さんと医師だけが静かに向き合える空間こそが、患者さんにとって「何でも話せる安心の場」となり、医師にとっても患者さんの本音に耳を傾けるために欠かせないものなのだと気づくのにそれほど時間はかからず、オーストラリアのスタイルには不便さはあるけれども、より重要なものを重視しているスタイルなんだと感じるようになりました。

メンタルヘルスへのプラス効果

この守秘義務の文化は、特に日本人患者さんのメンタルヘルスに大きなプラスをもたらします。日本人留学生や駐在員の中には、気分の落ち込みや不眠、強いストレスを抱えながらも、「家族や学校、会社に知られてしまうのではないか」という不安から受診をためらう人が少なくありません。

しかしオーストラリアでは、「診察室で話したことは必ず守秘される」という前提があるため、患者さんは安心してGPを受診し、心の悩みやメンタルヘルスの問題について打ち明けることができます。

守秘義務に守られた診察室では、思いがけず多くの患者さんが涙を流します。普段は誰にも言えなかった心の内を、ようやく語れる場所で語ることができるからです。閉ざされた空間と「ここで話したことは外に漏れない」という信頼感が、心の重荷を解き放つきっかけとなります。

私は診察の場面で、患者さんが涙を見せ始めた瞬間に、いつも机の上においてあるティッシュ箱を患者さんに差し出します。これは、ティッシュはたくさんあるから今日は思う存分泣いてかまいませんよ、というちょっとした意味を含んだ仕草なのですが、患者さんはそれに気づき、その後、大泣きの時間帯に移行することが多いです。これは心の解放を後押しし、安心して涙を流せるきっかけになるのです。

ある日本人留学生の女性は、うつ症状や不眠に悩みながらも、日本では家族や友人に知られることを恐れて誰にも相談できませんでした。しかしブリスベンのGPの守秘義務を守るスタイルの診療によって、胸の内を語ることができるようになりました。

また、ある駐在員の男性は、会社に知られたくない精神的ストレスを抱えていました。日本では職場健診の情報が人事に伝わることもあるため、医療機関に相談することをためらっていたのですが、オーストラリアのGPは、本人の同意なしに雇用主へ情報を渡すことは絶対にありません。その安心感が、彼に受診の勇気を与え、適切な治療と休養につながりました。

このように守秘義務のあるGP診療は、患者さんにとって「心の安全基地」もしく「頼りにできる人の存在」として機能します。

女性の健康と守秘義務

この文化は、女性の健康や性的な問題にも大きな意味を持ちます。月経や避妊、妊娠、性感染症、性生活に関する悩みは、日本では「人に知られるかもしれない」という不安から相談しにくいテーマです。診察室に看護師や家族が同席する状況では、打ち明けにくいことです。

ある日本人女性は、長年抱えていた膣のおりものの悩みを日本では相談できませんでした。しかしオーストラリアでGPを受診し、医師と完全に二人きりの状況で「ここで話したことは誰にも伝わらない」と聞かされた瞬間、安心して初めて自分の症状を語ることができました。

さらに重要なのは、この守秘義務があることで、女性たちが男性医師に対しても安心して相談できるという点です。性に関する問題、月経の悩み、デリケートな部位の症状など、日本では「男性医師に話すのは恥ずかしい」と感じることが多いかもしれません。しかしオーストラリアのGP診察室では「自分と医師の二人だけの秘密」と確信できるため、相手が男性医師であっても率直に打ち明けることができるのです。この安心感が、適切な診断や治療へとつながっていきます。オーストラリアのGPは「総合診療専門医」として、内科・小児科・精神科はもちろん、婦人科や産科を含む幅広い領域で体系的なトレーニングを受けています。そのため、男性GPであっても女性の健康問題に十分対応できる知識と経験を備えており、適切に検査や治療を行うことができます。

留学生からセックスワーカーへ

ある若い日本人女性の患者さんの診療において、患者さんは最初は自らを「留学生」と紹介しました。体調不良と下腹部の違和感を訴え、性感染症検査を実施することになりました。検査の結果、梅毒感染が見つかりました。私は冷静に結果を説明し、必要な治療方針を話し合いました。

その後のフォローアップ診療で、彼女は「実はオーストラリアでセックスワークをしている」と打ち明けてくれました。私は心の中では、そのことには気づいていたのですが、彼女の口から直接語られたことには重みがあり、彼女の勇気を尊重し、「正直に話してくれてありがとう。」と伝えました。

これからの診療がより信頼に基づいたものになるためにも重要な要素です。日本では絶対に家族や知人に知られたくないことを、彼女は誰にも聞かれる心配のない守秘義務に守られた診察室では、真実を語ることでき、正確な診断と安全な治療につながる医療を受けることができます。

ゲイの男性とHIV予防内服(PrEP

性に関する悩みは女性だけではありません。ある若い日本人男性は、自分がゲイであることを、守秘義務に守られた診察室では告白することができます。そして、HIVの予防内服薬(PrEP)を希望して、適切な検査とPrEP処方を受けることができ、自分の生活と健康を守る一歩を踏み出すことができるのです。

まとめ

オーストラリアのGP診療における守秘義務は、単なる法的な規則ではなく、患者さんの尊厳を守り、心と体の健康を支える文化的な価値観です。

私自身も最初は戸惑いましたが、今ではこの違いこそが日本人患者さんに新しい安心感を与え、患者さんの健康に深く貢献していることを実感しています。

診察室の扉の内側で語られたことは、必ずそこに留まる。その信頼感こそが、オーストラリアのGP診療の根幹であり、日本から来た人々が安心して医療を受けられる理由なのです。

日本人医師:長島達郎

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